爆報!THEフライデーで紹介
1997年5月9日、マンションの7階の手すりを乗り越え飛び降りた女優:可愛かずみ
白と青のストライプのシャツ姿、
乗り越えた外廊下にはキレイに揃えられた靴と財布が置いてあった…享年32歳
報道では遺書はなく、その死の真相を巡り様々な憶測が報じられた
「いまはいえない…」と頑なに口を閉じた親友が女優:川上麻衣子
20代の独身生活を共に過ごした親友だった
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●17年前の真相を親友の川上麻衣子が語る
1980年、16歳でスカウトされ芸能界デビュー
1982年、映画の主演に抜擢
可愛が川上麻衣子と初めて出会った作品が1984年の深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」
当時 可愛は22歳、川上は20歳、女子大生役を演じた2人は意気投合
同じマンションの隣同士に住むまでに
2人で食べる夕食は決まって当時1人6000円するデリバリーのしゃぶしゃぶ
20代の独身時代、2人が会うのは週6日
恋人よりも多くの時間を過ごした
しかし、ある日、いつものように川上が可愛の部屋を掃除していた時…
引き出しの中から大量の睡眠薬を見つけた
川上が気付いた時にはすでに大量の睡眠薬を常用していた
彼女を苦しめていたのは、過換気症候群
精神的な不安が原因で過呼吸を起こし、手足や唇の痺れ、動悸、めまいなどの症状を引き起こす
仕事に対して真面目だった可愛は、極度の不安を感じ、数々の薬を服用
川上は何度も求めたが、彼女の目を盗んでは抗うつ剤、精神安定剤…
自分をごまかしながら可愛は女優を続けた
やがて大量の薬の服用は可愛の体を蝕み、その姿は激変した
さらに精神的に追い込まれた彼女は、
1996年、大量の薬を飲み手首を切った
慌てて病院に駆け付けた川上に「ごめんね麻衣ちゃん。私記憶が全然ないの」
その精神的発作はおさまる事なく自殺未遂は3回
次第に川上は可愛の行動に耐えきれなくなり…悩んだ末、彼女を見捨てた
可愛が手首を切って運ばれるのを見るのは辛い…
その一つの手段が同じマンションからの引っ越しだった
川上は親友から逃げた…
それから1年、少しずつ可愛の事を忘れかけていた…そんなある日、
午前1時、寝る前に何気なくテレビを付けた川上
ニュース速報で目にしたのは、“可愛かずみさんが自殺図り死亡”
川上は親友の最期をニュースで知った
実は自殺の前日、可愛から電話があり、留守番電話に伝言が残されていた
「麻衣ちゃん電気してる?忙しいの?」
舞台稽古で遅くなった川上は疲れていたため、
可愛の言葉を気に留めることなく返事を後回しにしていた
そしてその電話の翌日、自ら命を絶った
元ヤクルトスワローズ:川崎憲次郎との不仲が薬物乱用の原因と当時 言われていた
報道では遺書はないと報じられていたが、父宛にメモが残されていた
“隊長と気分が良いのでパパ メモとして残します”
その中身は親友:川上の事ばかりが書かれていたという
“心の空白を(川上に)埋めてもらった 麻衣ちゃんがいてくれたおかげで楽しかった 麻衣ちゃんを話しているだけでいつも元気になるの”
そこに書いてあったのは川上への感謝の言葉
最期に父にお願いするかのように“パパ麻衣ちゃんをよろしくね”
可愛は最後まで親友の川上を思い続けていた
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