イギリスで物議を醸した番組が紹介された
●スパイだったユリ・ゲラー
ハンガリー系ユダヤ人で正式名はウリ・ゲレル・フロイド
精神分析学者:ジークムント・フロイトの親類にあたる
1964年にイスラエル陸軍に入隊するが、1967年の六日戦争で軽傷を負って除隊
そして最強のスパイ組織:イスラエル諜報特務庁、通称 モサドに呼ばれる
ユリ・ゲラーはモサドのスパイたちの前で超能力を披露
その後、モサドで働くようになり、様々な任務を果たした
やがてユリ・ゲラーの存在がアメリカのCIAにまで知れ渡った
当時はアメリカとソ連の冷戦時代…
ソ連は軍事利用を目的に超能力の研究を盛んに行っており、
アメリかもそれに対抗し、優秀な超能力者の獲得を急いでいた
1972年12月12日から、カリフォルニア州のスタンフォード研究所で5週間に渡り、
ユリ・ゲラーの超能力の科学的に証明する実験が行われた
彼の超能力はアメリカの科学者から称賛され、CIAをはじめ国防総省、さらにはNASAなどから大きな注目を集めた
スタンフォードでの実験結果はいつしか世間に知れ渡る事とになり、
アメリカやイギリスのテレビ番組の出演を受けるように
1970年代にはスプーン曲げで世界中に超能力ブームを巻き起こした
1976年、メキシコのテレビ番組に出演した事がキッカケで、
メキシコ大統領夫人に気に入られ、
超能力で危険人物を察知するサイキックボディーガードとしてメキシコで働き始めた
ちょうどその頃、CIAのマイクという男から連絡が入った
「我々に力を貸してくれ」
ユリ・ゲラーは初めてCIAから仕事を依頼された
それはメキシコのソ連大使館に対するスパイ活動
ソ連の諜報員が大使館から持ち出したフロッピーディスクの情報を消す、というもの
1976年6月、エンテベ空港奇襲作戦
イスラエル・テルアビブの空港を出発した旅客機がテロリストにハイジャックされ、
256人が人質となりウガンダのエンテベ国際空港に強制着陸
乗客を救うため向かったイスラエル軍の輸送機は、何故かレーダーに探知されず飛行し、
エンテベ国際空港に突入、人質救出作戦に成功した
しかし肝心な話になるとユリ・ゲラーは口を閉じ、真相は語らなかった
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