玉の輿に乗ったのに…その後 どん底に落ちた女たちで紹介された
韓国から来た歌姫は瞬く間に日本人の心を掴んだ歌手:桂銀淑
第21回 日本有線大賞 大賞をはじめ11年間で計41個の賞を獲得
紅白歌合戦には7年連続出場
●桂銀淑は今…韓国のリトルトーキョーと呼ばれるエリアで暮らしている
日本を離れてから仕事はせず、90歳になる母親の貯金などで6年間生活してきた
桂銀淑の原動力となったのは韓国で過ごした幼少期の貧困
彼女が生まれ育ったのは、ヤギと暮らし、その乳を売って生計を立てる貧しい家
母子家庭のため父親の存在も知らず娯楽もなかった
そんな彼女の唯一の支えは、歌だった
22歳になるとナイトクラブやスナックなどで歌い、デビューを夢見る日々
1983年のある日、「日本で歌ってみない」と声をかけられる
声をかけたのは八代亜紀の舟歌などヒット曲を手掛ける作曲家:浜圭介だった
1984年、23歳の時に来日
翌年、「♪大阪暮色」で日本デビューし、全日本有線大賞 新人賞を受賞した
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●玉の輿婚
1988年、日本で幼馴染と再会
桂銀淑より3歳年上の彼は貿易会社の社長として成功し、当時の年収は1億5千万円
異国の地で孤独を感じていた桂銀淑にとって幼馴染の存在は大切な心の支えとなった
そして1992年、桂銀淑は幼馴染の実業家と結婚
ソウルで行われた結婚式には日韓のマスコミが駆け付けた
1億円の高級マンションに引越し、
そして1着300万円以上する毛皮のコートやバッグ、3000万円を超える宝石や時計も買ってもらった
●借金と離婚
絵に描いたような夢の生活がもろくも崩れ去る
桂銀淑は夫に対する不安があった…それはお人好しすぎる性格
これまで何人もの借金の保証人になっては、その借金を背負ってきた
さらにバブルが崩壊
夫の会社は資金繰りがうまくいかなくなり経営が悪化、多額の借金を背負った
元々精神的に強くなかった夫は酒に逃げるようになった
一方、桂銀淑は借金を返済し夫のために…歌い続ける
しかし夫の外れたタガは元に戻らなかった
顔を合わせれば罵り合う日々、夫婦の間には大きな溝ができた
夫の借金を返す為に歌い続け、1996年、一発逆転に望みをかけ事務所を独立
意気込んで独立した桂銀淑は自身でコンサートツアーを立ち上げるなど、精力的に活動した
しかしその気合が空回りする
満足できるステージにするため採算度外視、
その結果、コンサートをするたびに赤字が膨らみ、桂銀淑自身も多額の借金を背負った
元の事務所から借りたお金は2億5千万円
それでも夫は豪遊を止めなかった
1998年、離婚、この時 桂銀淑が抱えてた借金は4億円を超えていた
離婚して間もなく日本に母を呼び、同居を始めた
しかし、アルツハイマーを患っていた母は、娘を認識できなかった
膨大な借金に加え、片時も目を離す事が出来ない母の看病
次第に桂銀淑は追い詰められていく
そして日々のストレスにより一時的に声が出なくなってしまった
襲いかかるストレスで精神的にもどん底に
2001年、桂銀淑は活動休止に追い込まれた
●覚せい剤取締役法違反で逮捕
人気歌手の逮捕は日本中に衝撃を与えた
覚せい剤取締法違反の容疑で身柄を拘束されていた桂銀淑が保釈されて自宅に戻ると
クローゼットに置いていたものが全て無くなっていた
1億円相当の財産が空き巣に入られ、奪われてしまった
2008年5月、覚せい剤取締法違反の罪で国外退去処分
こうして桂銀淑は日本から完全に姿を消した
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