●ローマ帝国にキリスト教を広めた2人の立役者
・聖ペテロ
最後の晩餐ではナイフを手にユダをけん制
ペテロは初代ローマ法王に位置づけられる存在
イエスが生きていた時代、彼の教えはまだ宗教ではなかった
イエスの死後、ペテロたちが教えを広め、キリスト教が出来上がった
ペテロはローマ皇帝ネロの迫害にあい、逆さ十字にかけられ殉教した
亡くなったとされる場所にはサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂が建てられた
ローマ法王はペテロの後継者とされる存在
・聖パウロ
パウロはイエスの弟子ではない
キリスト教徒になったのはイエスの死後
最初は保守的なユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害していた人物だった
キリスト教を弾圧していたパウロは西暦33年頃、
シリアのダマスカスに向かう途中、「なぜ私を迫害するのか?」という言葉を聞く
パウロが聞いたのは紛れもなくイエスの声だった
「町へ行きなさい。そこであなたが成すべきものを告げられるだろう」
その後、パウロは目が見えなくなってしまう
町を訪れたパウロはアナニアというキリスト教徒に出会う
アナニアはパウロに手をかざした
すると、ぼろぼろと目からウロコが落ちてきた
そしてパウロの視力は回復する
この体験が元でパウロはキリスト教に改宗した
パウロは西暦47年から56年ごろにかけて、
現在のギリシャやトルコのあたりを3度の伝道の旅に出かける
聖地エルサレムのユダヤ人以外の異邦人に伝道を始めた
パウロは伝道の旅で訪れた教会にイエスの教えや励ましの言葉を贈った
新約聖書の一部はパウロからの手紙が元になって作ったといわれている
パウロはローマに行くことを希望していたが、途中で逮捕されてしまう
当時のローマの宗教は多神教で、皇帝は神の一人として崇められていた
一方、キリスト教は一神教で皇帝も平等
西暦64年、皇帝ネロはローマで起きた大きな火事を、
キリスト教徒による放火だとして虐殺する
キリスト教徒への処刑はコロッセオでも行われた
布教活動の途中で逮捕されたパウロもローマへと移送され、
ネロによって打ち首となり殉教したとされる
そんな弾圧が続く中でもキリスト教徒は増えていった
初期のキリスト教徒は地下に横穴を掘り、遺体を埋葬したり祈りを捧げた
そして新しい信者に教えを広めた
スポンサーリンク
コメント