ありえへん∞世界で紹介
●カリブ海の社会主義国家:キューバ
1959年、キューバ革命によりアメリカに依存する政治体制から脱却
その後、革命のリーダー:フィデル・カストロが国家元首に就任し社会主義国家を作った
2008年、弟にその座を譲るまで49年以上もトップに君臨
現在でもアメリカから経済封鎖を受けるなど国交断絶中
国土面積は日本の本州の約1/2 人口:約1100万人
街を走るのはアメリカと国交のあった頃に入ってきた古いアメ車
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●キューバには同じ方向に向かう人を車に乗せなくてはならない法律
水色ナンバー(国営企業や政府機関の車)はヒッチハイクを断れない
●企業のほとんどが国営企業
キューバ国民は公務員が多く、その平均月給は3000円
その代わりにキューバでは様々な物が無料となっている
タクシードライバーも公務員だが、外国人からチップを貰えるので医者よりも稼げる
●教育・病院の全てが無料
大学までの教育費は全て無料
制服、筆記用具、教科書、給食まで国が支給
さらに病院の治療費も無料
性同一障害と認定されれば性別適合手術も無料
●配給所
商品によって様々な配給所があり、
1か月分の食用油、コーヒー、スパゲッティ、黒豆、砂糖、お米などを42円で配布
パンが1日に1人1個が約2円
現在は有料だが、景気の良かった80年代は無料で配布する物が多かった
●おしん
1980年代、キューバで放送し大ブームとなったNHKのドラマ「おしん」
その視聴率は85%を記録
●キューバの離島にある日本人村
ハバナから南に50㎞の離島:イスラ デ ラ ベントゥ
日系移民が暮らす日本人村
今から90年前、1920年代の初期、南米やメキシコなどに大勢の日本人が移住した
当時、日本政府が海外移住を斡旋する制度があったから
キューバ移民は一旦はメキシコやアメリカなどに移住したが、農業の楽園があると再移住してきた人が多い
しかし、農業の楽園と信じて辿り着いた土地は、理想とは程遠かった
当時、この島ではアメリカ人がすでにグレープフルーツを栽培
日本人が使う農地は残されていなかった
そこで日本人はジャングルだった荒れ地を開墾する事からスタート
アメリカ人がやっていなかったスイカや芋の栽培に活路を見出した
軌道に乗るまで十数年、これからという時に再び時代に翻弄される
第二次世界大戦 勃発
当時、キューバはアメリカの同盟国
日本人男性たちはスパイ容疑をかけられ収容所へ
日本語を禁じられ、キューバで悲惨な収容所生活を送り、終戦後、収容所から解放
1959年、キューバ革命が起こり社会主義国家に
すると栽培した物を政府が全て購入してくれるようになり生活が安定
生産効率の高かった畑は政府から土地の没収されなく、更に拡大
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