誰だって波瀾爆笑で紹介
●長山洋子の知られざる素顔
1968年、東京・蒲田、自営業を営む一家に2人姉妹の次女として生まれた
歌に目覚めたのは4歳
父と一緒に民謡教室で民謡を習い始めたのがきっかけ
大人顔負けの歌を披露する洋子に教室のおじさん達はビール片手に大喜び
小学生になると多くの歌謡大会で次々に優勝
ちびっこのど自慢荒らしと恐れられるほどに
小学4年生の時に名門ビクター少年民謡会のオーディションに合格
テレビ番組にも出演すると芸能事務所からスカウトが
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事務所関係者「中学卒業と同時に美少女演歌歌手として売り出したい」
それを聞いた父は大喜び
洋子もひたすら演歌の練習に励んだ
ところがデビュー直前に事務所の人から突然の一言が…
「やっぱりアイドルでいこう」
演歌でのデビューが決まっていた洋子だったが、一転アイドル歌手へ
しかし、演歌歌手:長山洋子を心待ちにしていた父は大激怒
それでも歌手になりたかった洋子は1984年、「♪春はSA・RA・SA・RA」でアイドル歌手デビュー
当時のキャッチコピーは“僕の青春をとめる少女がいた”
しかし、いきなりアイドルになれと言われても、踊れない、歌うとこぶしが回り、戸惑う事ばかり
ポップスを体に叩き込むため洋楽を聞き漁りディスコへも足繁く通った
そんな甲斐もあり8枚目のシングル「♪ヴィーナス」が40万枚のヒット
ところがデビューから10年が経ったある日、事務所の方針で演歌歌手に転身
転身後、デビュー曲となる「♪蜩」は演歌では異例の40万枚の大ヒット
その後もヒット曲を連発、紅白歌合戦にはこれまで14回出場
●国際結婚
38歳の時、とあるテレビ番組で運命の出会いが…
独身女性が独身社長を直撃する企画
日本で会社を経営するマーク・スミス
番組の中で2人は一緒に料理を作ったり、デュエットするなど初対面にもかかわらず意気投合
その後、マークの猛アタックの末、交際へ
2年半後の2009年に結婚
翌年には42歳で長女まこちゃんを出産
実は出会いの番組で長山洋子を指名したのはマークだったという
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