金スマで紹介
●高望みで人生を変えた林真理子
1982年に「ルンルンを買っておうちに帰ろう」でデビュー
テレビやCM、一時はフジテレビのメインキャラクターも務め、
その名を知らない人はいないほど80年代を席巻
一躍時代の寵児となり、これまで200冊以上の本を出版
直木賞をはじめ作家として数々の賞を受賞し、その作品の多くがドラマや映画化された
1954年、山梨県山梨市に生まれる
実家は駅前で小さな書店を営み、母が切り盛りしていた
幼い真理子は店番をしながら小説を読むのが日課
物語の主人公になった想像をするのが何より楽しみだった
父は元銀行員
母は小説家を志したこともあり、その文才から地元では「樋口一葉」の再来と言われていた
父との結婚でその夢は叶わなかった
学校では、毎日家で難しい小説を読んでいる真理子は他の子よりも文章を読むスピードが群を抜いて早かった
さらに読書感想文を書いた時には教師が疑うほど当時から高い文章理解とそれを伝える文才があった
さらに真理子の関心は文学だけにとどまらず、仕事が忙しい親に代わって小さな子供の世話をする青空保育園を発案し、地元の新聞にも載った
スポンサーリンク
●辛いイジメの日々
ところが中学へ上がると楽しかった学校生活が一変する
成長のスピードが人より早かったのか容姿が太く変貌していた
すると…クラスの男子からはイジメのターゲットになってしまい、
林真理子を100回泣かせる会というグループまで結成された
椅子の上には剣山、書道の授業では顔に墨を塗られるなどイジメは毎日続いたが、真理子は決して泣かなかった
彼女が耐える事が出来たのは…
以前、クラスで一番可愛い女の子がスカートをめくられ泣いていた時、男は好きな女の子にチョッカイを出すもの、
そう学んだ真理子は(きっとあのいじめっ子たちも私の事が好きだから毎日こんな事をしてるんだ)そんな妄想によって救われていた
●人生の新規巻き直し作戦
そんな中、大きな転機が訪れる
それは中学2年の時、地元の映画館で観た「風邪と共に去りぬ」
真理子は涙が出るほどの衝撃を受けたと云う
泣いたのは映画に感動したからではなく、
「ああどうして私はこんな田舎に生まれてきちゃったんだろう」と悲しくなったから
あの時代に生まれて、フワフワのドレスで華やかな恋をする世界に生きてみたい…もしここで一回死んで、神様が好きな場所と時間を選んで生まれ変わっても良いと言ってくれるなら、死んじゃおうかと思ったくらいショックだった
そして真理子は「私は絶対こんな田舎で終わりたくない!」
その日以来、彼女はスカーレット・オハラのようにドラマティックに生きることを決意
ドラマティックの生きるためにはいじめっ子たちから逃れる事が先決
方法は彼らが入れないような進学校に行き、新しい自分に生まれ変わることを決意
真理子はそれを「人生の新規巻き直し作戦」と名付け、以来猛勉強を開始
その結果、学校でもトップ10の生徒しか入れない県内でも有数の進学校の日川高校に入学
辛かったイジメからついに解放された
すると学園生活は一変
地元の山梨放送が募集したディスクジョッキーに応募し合格
女子高生パーソナリティー「マリリン」として大活躍する
知らない人が自分を好きになってくれることの楽しさを知り、将来は有名人になりたいと思った
卒業後は東京の日本大学芸術学部に入学
大学に入ったからには青春したい
青春=テニスということでテニス部に入部
またある時は論文コンクールで入選し、副賞として人生初のパリ旅行を経験
大学3年も終わりに近づくと学生たちの話題は「就職」
●全滅した就職活動
その頃、真理子には憧れていた職業があった
それは女性誌の記者
記者になれば有名人にたくさん会えるかもしれない、という単純な理由だった
ショルダーバッグを肩から下げ、黒いハイヒールで街を颯爽と歩き、そしてあわよくば取材で知り合った有名作家と恋におち、つかの間の情事へ…彼女の妄想はとめどなく続いた
ところが当時マスコミは大人気でかなりの競争率
自分が受けるにはどうすればいいのか?真理子はある分析をした
面接の時間が長いほど受かる確率が高いと考え、ひそかに受験者の面接時間を計っていた
真理子の面接は椅子に座ることも出来ずに終了、わずか30秒という最短記録を作ってしまった
その後、受けても受けても届くのは「不採用通知」のみ
その頃の日課は新聞の求人欄からめぼしい会社を見つけては、履歴書を書きまくる日々
しかし書いた履歴書は不採用通知と一緒に全て返ってくる
結果、40社以上受けたが全て不採用
そこで真理子は不採用通知の山をリボンで束にし宝物として大切に保管する事にした
いつか自分が有名になった時、取材に来た記者に「あっそうそう、学生時代あなたの会社も含めて全部落ちちゃって」、と記者の謝罪を妄想
スポンサーリンク
●信じられない極貧のアルバイト生活
結局、大学卒業後は日給1800円の印刷工場で日雇いバイトと、
友人の父が経営する植毛クリニックでおじさんの頭を見ながら、植毛の毛を注射針に入れていく特殊なアルバイトで食いつなぐ日々
当時住んでいたのは家賃8600円の風呂なしアパート
1日の食事は4枚40円で買った食パンだけという極貧生活
そのアパートは女性専用で痴漢の被害が多発していた
だが…何故か真理子だけが痴漢の被害にあっていない、それが何だか切なかった
そしてこの頃、毎日のように聞いていたのが荒井由実の「♪翳りゆく部屋」
定職もない、お金もない、ついには痴漢にも相手にされない…
大スターのユーミンとは同い年だったが自分とは真逆の存在
楽しみといえば銭湯の帰りに近所の貸本屋で本を借り、たまに今川焼を買って帰ることくらい
そして妄想するのは、いつか成功して有名になったら都心の高級マンションに住んでやる、いつもそんなことばかり考えていた
●そして高望み人生が動き出す
ある日、腐りかけていた彼女に大きな転機が訪れる
いつものように近所の銭湯に行こうと部屋を出ると…同じアパートに住むコピーライターの女性が声をかけてきた
当時、糸井重里や仲畑貴志などの影響でコピーライターという職業が注目されていた
彼女が担当したという信用金庫のチラシを見せてもらった真理子は、(これくらいなら私も書けるかも…)
1978年、24歳の時に預金を全てはたきコピーライター講座を受講
すると紹介で広告制作会社へ就職が決まり、バイト生活から脱却
しかし、せっかく就職しても会社に馴染めず、精神的にも辛い日々を送る事に
真理子を心配する山梨の母から電話では…
中学時代のイジメにも決して泣かなかった真理子だが、涙を抑える事は出来なかった
そんなある日、テレビには今を時めくコピーライター糸井重里が映っていた
自分のあんな風に成功して有名になりたい、その野心たるや半端ではなく、
真理子はツテを使って糸井重里の行きつけの店を突き止め、遠巻きに彼らを眺めると云うちょっと危ない行為にも及んだ
糸井重里がコピー塾を開講するという広告を発見
それは憧れの糸井に近付ける願ってもないチャンスだった
糸井塾の開校日、一流コピーライターの授業を受けようと教室は受講者で満員
そんなライバルたちから抜きんでるために真理子は、それまで着たことのない奇抜なファッションに身を包み、髪型は当時流行したテクノカット
何が何でも糸井重里に自分を覚えてもらうと席も一番前に陣取った
美貌もコネもない真理子にとって人のやらないこと、目立つ事をする事が何よりも重要だった
糸井の授業で作詞をする事に
目立つにはどうしたらいいか?と考え、ド演歌の「池袋ハイボール」という詩を書いた
糸井は「面白い」と認めてくれ、糸井重里事務所の電話番兼弟子にしてもらった
高望みは実現、真理子は糸井の事務所で本格的にコピーライターとして活動を開始
1981年、西友のコピーを手掛け、東京コピーライターズクラブで新人賞を受賞
これを機に真理子はコピーライターとして独立、南青山に事務所を構える
自宅も池袋の家賃8600円のアパートから東麻布の高級マンションへ
すると、さらに人生が動き出す
主婦の友社からエッセイを書いてみないか、という相談が
当時、女性エッセイストが書く本はどれも女性らしい品のある内容ばかりだった
(ここに爆弾をぶち込めば売れるだろうな)
1982年、自費でホテルに缶詰めになり執筆開始
そして処女作「ルンルンを買ってお家に帰ろう」が発売
女のねたみ、そねみ、ひがみを書いたエッセイ集
女子大生やOLの熱狂的な支持を受け、一躍ベストセラーに
ちまたでは林真理子ブームが到来し一大センセーションが巻き起こった
時代の寵児となった彼女には、バッシングも多かった
結婚したくない女ランキングでは常に1位
世間を見返すには作家として成功するしかない
やがて真理子はテレビの露出を減らし、作家業の専念していった
1985年には「an・an」で連載開始
掲載ページが巻末だったため、「an・an」を後ろから開かせる女の異名をとるほど話題に
そして…1986年「最終便に間に合えば」「京都まで」で第94回直木賞を受賞
1990年5月、36歳の時にお見合いで知り合ったサラリーマンの男性と結婚
1999年、44歳で念願の長女を出産
「仕事」「結婚」「子供」「地位」「名声」妄想していた全てを手に入れた
・1987年(33歳)、着物の魅力に目覚める
1年間で都心の一戸建てを買えるほどのお金をつぎ込む
最高で130着の着物を所有していた
・1989年(35歳)、バンクーバーに350坪のプール付き別荘を購入
・同年、ウィーンオペラ座の舞踏会に華々しくデビュー
・1990年(36歳)、会社員の東郷順氏と神田カトリック教会で挙式
披露宴はホテルニューオータニ「トゥールダルジャン」
二次会は赤坂プリンスホテル別館を貸切り
ドレスは森英恵、記念撮影は篠山紀信
・1998年(44歳)、都心の一等地に一戸建てを建てる
・2009年(55歳)、2ヵ月で19キロのダイエットに成功
●サインを書いてくれる本屋:林真理子の聖地
・幸福書房 代々木上原店では林真理子ブースがあり
この店で林真理子の本を購入すると本人がサインを書いてくれる
3日後にまた来店するか?もしくは郵送してくれる
コメント