人生の正解TVで紹介
●田中好子の人生最期の選択
数々の映画やドラマで優しいお母さん役を演じてきた田中好子
1972年、伝説のアイドル:キャンディーズとしてデビュー
人気絶頂の中、「普通の女の子に戻りたい…」と突然の解散
1978年、田中好子は芸能界から引退した
しかし2年後、芸能界に復帰
復帰を決意させたのは6歳下の弟
当時、不治の病と言われた骨肉腫に侵され、好子は付きっきりで看病していた
「僕、お姉ちゃんがテレビ出ている姿もう一度見たいな。看病してくれるお姉ちゃんも好きだけどテレビの中で輝いているお姉ちゃんを見ている方がもっと元気になれる気がするんだ」
弟を励ますために芸能界に復帰する
最初の出演は「欽ちゃんのどこまでやるの!」だった
しかし弟は19歳と云う若さでこの世を去った
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結婚2年目、36歳の時、乳がんが発覚
再発を繰り返し、髪の毛が抜け落ちる事も
好子はカツラをつけ演技を続け、周囲に病気の事を隠し続けた
しかし54歳を迎えた体に再び病魔が
2011年3月、緊急入院
夫は医師から衝撃の事実を告げられる
「今の状態では夏は無理かもしれません。いやゴールデンウィークさえも難しいかもしれません」
余命2か月の宣告、夫はそのまま好子に伝えた
好子は泣きながら「自分は役の上で何回も死んできた。色んな事やってきた。だからカズさん(夫)に何を言われてもピンとこない。あなた大丈夫?平気?」
彼女の人生最期の選択は…自分の想いをテープに遺すこと
メッセージを残した3週間後、彼女は息を引き取った
2011年4月21日、葬儀の日、出棺の直前にそのメッセージは流された
「こんにちは田中好子です。私も一生懸命 病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っております。幸せな幸せな人生でした。心の底から感謝しています。お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。いつの日か社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っております。カズさんよろしくね。今日お集まりいただいている皆様にお礼を伝えてくてこのテープを託します」
死んだ後も人の役に立ちたい…
このメッセージは多くの人の人生を変えた
●田中好子の芸能界復帰
好子は萩本欽一の自宅に訪ねた
「今何してるの?」と聞くと
「(病気の)弟の世話してる。頑張ってる弟を何とかするんだ。」
「本当に弟さんが喜ぶのはスーちゃんが弟のために働いているんだよ、という仕事をするべきじゃないの?」
「私やる」
「最後の仕事は弟にアカデミー賞でもブルーリボン賞でも獲って弟の所に行って、「一夫(弟)あなたのトロフィーだよ」と渡してくれな」
後に田中好子が報知映画賞(1989年)を受賞した際、萩本欽一は花束を届けにステージに上がった
「スーちゃん、あの冗談を本当にしたね」
すると壇上で「このトロフィーを渡す弟もういない」と好子は泣いた
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