137億年の物語で紹介
バビロンの法律を書き記したハンムラビ法典
●法律を作ったハンムラビ王とは?
ユーフラテス川沿いにあった都市国家バビロン
紀元前1792年即位、ハンムラビは父親から継ぎバビロン第1王朝6代目の王になる
その後、戦争によって次々と周辺国を征服
弱小国だったバビロンをメソポタミア最強の国に築き上げた
メソポタミアの中心としてバビロンは1000年以上繁栄した
旧約聖書に登場するバベルの塔
天空に向かって聳え立つ塔の物語は神話だと考えられているが、実はバビロンに実際にあった神殿の搭がモデルと云う説がある
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●ハンムラビ法典
紀元前1760年頃にハンムラビ王が制定したバビロンの法律
ハンムラビ法典は楔形文字で石碑に刻まれている
前書き、後書きの間に282条書かれている
世界で1番古い法典はハンムラビ法典の350年前に作られたウルナンム法典だが、見つかっているのは実物ではなく後世に作られた写本
実物が現存する最古の法典はハンムラビ法典となる
ハンムラビ法典の上には太陽神とハンムラビ王のレリーフが刻まれている
太陽神がハンムラビ王に渡そうとしているのは棒と輪
メソポタミアの時代、棒と輪は権力の象徴するものだった
ハンムラビ法典は変わる事ないよう石に刻み、誰もが知れるようにバビロンや他の街に置かれていた
1901~1902年、フランスの調査隊がイランのスーサで発掘
ハンムラビ王の時代からおよそ600年後、バビロンにエラムという国が攻め込み、この戦争でバビロンは敗北してしまう
ハンムラビ法典はその時、戦利品として持ち帰られてしまった
●「目には目を」の条文とは?
バビロンでは裁判によって有罪が確定すると被害者が直接仕返しするのではなく刑の執行人が替わりに罰を与えると云う制度だった
法に従って裁き罰を与えるというシステムが3800年も前にあった
・第1条:もし人が他の人を殺人の罪で訴えて、しかしそれを実証できなければ彼(訴えた人)は殺されるべし
訴えられた人の権利を守る法律、根拠なしに人を訴えてはいけない、根拠がなければ有罪とならない
「疑わしきは罰せず」はハンムラビの時代からあった
・第2条:人を呪った罪で告発された者は裁判で確実な証拠がない場合、川に飛び込まねばならない。無事に生還できたら無罪、帰って来なければ有罪となる
・第108条:酒場で酒の量を少なくして出したら川に投げ込まれる
・第218条:手術中に患者が死んだ場合は医師は手を切り落される
・第229条:大工が家を建てたが手抜き工事であったため、その家が倒壊し、家主が死亡した場合、その大工は殺されなければならない
“社会で一番弱い立場にある人、孤児、夫のいない婦人、その人たちの正義を守るために、この法典を作って、この石に書き記した”と後書きに書かれている
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