芸能特ダネゲッター!ワダマヨ社で紹介
●芸能界から姿を消した高部知子
45歳になった高部知子は医療法人社団 向仁会(函館市)で働いている
180人の高齢者が入院し、半数以上が認知症患者
職業は精神保健福祉士
精神に問題を抱えた人を支援するソーシャルワーカー
函館には定期的に訪れ認知症ケアの相談員として活動している
●ドラマ・バラエティーで大ブレイク
1980年、13歳でデビューした高部知子
NHK連続ドラマ「ガラスのうさぎ」で主役に抜擢される
13歳とは思えぬ演技で評価され脚光を浴びた
1982年、15歳で「積木くずし~親と子の200日戦争~」に主演
ドラマは社会現象に、最終回の視聴率は45.3%を記録した
視聴率40%超のバラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演
番組から誕生したアイドルユニット「わらべ」で歌手デビューも果たす
その間抱えていたドラマは2本
高部の睡眠時間は1日2時間程だったと云う
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●ニャンニャン騒動の真相
1983年6月、高部は事務所に呼び出された
「この写真いつ撮られたんだ?」
見せられた写真はシーツに包まりタバコを手にした高部知子
「お前タバコ吸ってるのか?」「その男と付き合っているのか?」
昨日まで優しかった大人たちが厳しい口調で問い詰めてくる
高部は何をどう説明すればいいのか、分からなくなった
「この写真が明日発売の週刊誌に出る」
発売された週刊誌には“ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の一服である。”と説明文が掲載された
しかし高部は全くのデタラメだと言う
本人によると「積木つずしの時に、本当の不良の人達、竹の子族、ローラー族に会って実際に話をたくさん聞いた。オートバイに乗ったこともなかったし、タバコも吸った経験がなかったので、演じるにあたって知りたかった。昼間は仕事しているので家に帰ってから抜け出して取材に。実際にそこでそういう人たちに会って話を聞いて、どんな洋服を着ているか?どんなメイクをしているか?というのを実際にそのまま持ち帰ってメイクや衣装に反映させていた。そういったコミュニケーションの中での1枚なんです。アレは。」
「積木くずしポーズをとってくれと良く言われた。(18歳の男と一緒にラブホテルで撮られた写真)と云うストーリーが付いてしまったんです。その写真の時も2人きりではなかった。2人きりで男の子と行ったことがないんです。5、6人はいました」
積木くずしの主人公と高部と私生活は重なって報道された
高部の行動は本人の意に反して大きな波紋を呼んだ
出演していた番組、CMは降板
先の仕事も全てキャンセルとなった
しかし謹慎したことで高部は15歳の高校生に戻れた
1年の謹慎処分があけてドラマ「転校少女Y」で芸能界に復帰
周囲の期待は大きかった
しかし高部の演技に全盛期の輝きはなかった…
「今までと同じように演技ができなくなった。のめり込むと「積木くずし」のように怒られるんじゃないかと云う恐怖心が先にたつ。集中が出来ない」
高部は復帰後のストレスで心身のバランスを崩していった
●芸能界から消えた理由 娘の誕生と心臓病
22歳で幼馴染と結婚、芸能界と一線を画す
結婚後、まもなく長女が誕生
娘と会えたのは出産の3日後だった
保育器の中で点滴を受けていた
高部は当初、心臓病の事を知らされていなかった
出産から2週間…医師からの宣告
「娘さんは心臓にいくつかの不具合があります。心臓病です。このままではかなり危険です」
2か月後、ようやく手術が行われた
手術は成功した、首元からおへそまで続く大きな傷跡が残った
退院した時、娘は10か月になっていた
退院後も闘病生活は続いた
免疫力が極端に低いため全て除菌する必要があった
雑誌も1ページ1ページ、エタノールで消毒
泣くと心臓に負担がかかるため、夜泣きした時は一晩中抱いていた
運動会では走れない娘を抱いて走った…
その後、もう一人娘を出産
母は色んな事を体験させようと必死だった
助からないと言われた娘はスクスクと成長した
その間に離婚っも経験した
芸能界を辞めた理由は心臓の悪い娘を人に預けて仕事に復帰することができなかったから
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