解禁!暴露ナイトで紹介
漫画家:えびはら武司
お色気満載のストーリーで80年代に日本全国の少年たちの心をくぎ付けにした
「まいっちんぐマチコ先生」
えびはら武司は大ファンだった理由から藤子・F・不二雄に弟子入りし、初のアシスタントとして2年間働いた
藤子F不二雄と藤子不二雄Aは取材では並ぶが、帰ると別々に作業していた
不思議なのはアシスタントに藤子不二雄ファンは一人もいなかった
●ドラえもんの知られざる苦悩
「ドラえもん」はすぐにはヒットしなかった
小学館の出版する学年誌の連載マンガはコミック化されることはなかった
当時、川崎のぼるの「てんとう虫の歌」が学年誌に連載されており人気があった
「てんとう虫の歌」のコミック化の話が持ち上がった
「てんとう虫の歌」だけでは本屋は棚を作ってくれない
そこで「ドラえもん」と「漂流教室」などのコミック化が決まった
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●ドラえもんの意外な事実
最初から「ドラえもん」は6巻で終了と決まっていた
実際に6巻では最終回「さよならドラえもんの巻」を描いている
この最終回で学年誌の連載が終わり、いったん辞めた
藤子・F・不二雄は「ドラえもん」と終わらせるつもりでいたが、
「もう一度やってくれないか」と編集者が土下座
その後、1975年に藤子・F・不二雄の専属アシスタントを辞める
1980年、「まいっちんぐマチコ先生」が月刊少年チャレンジに連載開始
連載開始後すぐに大ヒットとなる
●「まいっちんぐマチコ先生」の誕生の裏側
長年、藤子・F・不二雄のアシスタントを経験したことで、絵のタッチが似てきてしまった
藤子・F・不二雄にそっくりなタッチだが、藤子・F・不二雄が描かない世界を描くしかない、と不健全なマンガを描くことにした
ヒロイン マチコ先生のモデルは、髪型が大場久美子、体型が宮崎美子
ファンだった大場久美子の写真集を購入し参考に
ちなみに宮崎美子はファンではなかった
当時のMAX月収は500万円
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