爆報!THEフライデーで紹介
スターの健康法&美の秘訣
●薬物依存で廃人同然にまでなったかしまし娘:正司歌江
1929年、世界大恐慌が起こった年
旅芸人の長女として北海道歌志内市に生まれる
その生活は貧しく一家の住む場所は劇場の楽屋
父親に幼い頃から芸を叩きこまれた
歌江は若干12歳で舞台デビュー
すると愛くるしい2人の姿が大衆に受け大人気
公演は常に満席
当時の大卒初任給70円だったのに対し、2人の月収は700円
現在の価値にすると200万円以上
天才少女漫才師として喝采を浴び瞬く間に人気者に
忙しい毎日を送っていたある日…
朝晩の公演は子供の歌江には辛かった
そんな歌江に先輩が「ヒロポン打ってあげようか?これ打ったら疲れも眠気も吹っ飛んで元気になるんやで」
忙しい毎日で体が限界に来ていた歌江は、何ら疑うことなく薬物に手を出してしまった
ヒロポンとは当時、厳しく規制されていなかった薬物で疲労回復の滋養強壮剤として薬局で簡単に手に入った
それから毎日、歌江はヒロポンを打ち続けた
しかし…「うわぁ!畳から虫がウジャウジャ出てくる」
幻覚…さらに「お父さん!怒らんといて!」
幻聴…薬物を打ち続けた歌江に待っていたのは恐ろしい副作用
歌江は転落人生を歩むことになる
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1945年、16歳になった歌江は芸人仲間の家に入りびたる生活を送っていた
そんなある日、歌江は芸人仲間の男と関係をもち妊娠した
その相手と結婚し、19歳で1児の母となった
しかし当時の日本は終戦直後、空襲で劇場がなくなり芸人として生活が困難に
やむを得ず歌江はホステスとして働いた
しかしそれを知った姑は大激怒し、母親失格の烙印を押されてしまう
そして力づくで子供を奪われ、家を追い出された
最愛の子供との別れ、そしてそのまま夫とも離婚
歌江は再び薬物に手を出してしまった
父からは勘当、妹からは愛想を尽かされコンビ解消
全てを失った歌江は働かず、薬物を買うお金欲しさに自転車を盗んだことも
その後、2年間にわたり薬物を打ち続けていた歌江は、まさに廃人同然
そんな時、目の前に現れたのは妹の照枝だった
「姉ちゃん大変なんやろ生活、これウチからの餞別」
妹がくれたのはヒロポン、そして一通の手紙
そこには妹の切なる思いが“ヒロポンだけは止めてほしいと思っているのに変やねぇ。これおせんべつです。ボロボロになったお姉ちゃんの姿を見たくないのに…こんなの渡すなんて変やね。せやけどやっぱり止めて欲しいねん。いつかまた昔のお姉ちゃんに会える事を信じて…照枝”
この手紙で歌江は止める決意を固めた
1956年、人生を救ってくれた5歳年下の照枝と7歳年下の花江と共に三姉妹で「かしまし娘」を結成
以来、彼女は芸人そして女優として数々の作品に出演
83歳となった今でも下根気で舞台に立っている
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