奇跡体験!アンビリバボーで紹介
有名セレブのぶっ飛び伝説
2005年1月、51歳のイギリス人男性がクーデターの首謀者に資金融資をした疑いで逮捕
禁固刑は確実だった
しかし逮捕から間もなくして、アッサリ釈放された
実は80歳になる母サッチャーが保釈金4000万円、罰金6000万円を肩代わり
男性は禁固刑を免れた
●サッチャー元首相の親バカ伝説
イギリス史上初の女性首相マーガレット・サッチャー
その強硬な態度や政治手法から「鉄の女」の異名をとった
しかし、その素顔は息子を溺愛する親バカだった
1953年、マーガレットは双子を出産
娘キャロルより出来の悪い息子マークを溺愛した
彼が15歳の時にはお金を積んで名門校へ裏口入学
34歳の時には脱税で訴えられた彼を助けるため、1億5000万円を肩代わり
他人には完璧を求めたが、息子には甘かった
●息子が失踪してフランス軍とアルジェリア軍に捜索要請
1982年1月、マーガレットの首相就任から3年が経った頃
当時28歳だったマークが世界で最も過酷と言われるパリ・ダカール・ラリーへの出場を表明
それは過去には死者も出たことがある過酷なレースだった
レース開始から6日目
マークの運転する車がコースを外れ、アルジェリアの砂漠地帯で行方不明となった
マーガレットはパリ・ダカール・ラリー主催のトップであるフランスの大統領に息子の捜索を依頼した
すぐに現地のアルジェリア軍とマーク捜索隊を結成
フランス軍の軍用機3機、アルジェリア軍の軍用機3機、さらに地上から20代以上の車両が出動
捜索から6日目、無事マークを救出
勝手にリタイアし、テントの中で寝ていただけだった
マーガレットはマーク無事の知らせに喜びを爆発させた
マーク捜索に費やされた費用は8600万円
イギリス国民は当然マーガレット本人が支払っていると思っていたが、国の税金を使用した疑惑が浮上
これに対しマーガレットは「税金はちょっとしか使ってないわよ」
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鉄の女の素顔
●ガリ勉だった幼少時代
1925年、イギリスの田舎町グランサム、ロバート家の次女として生まれた
実家は食料雑貨店を経営する中流家庭
生活は決して裕福ではなかった
父アルフレッドは厳格なキリスト教徒
近所でも働き者として評判だった
商品やサービスには徹底的にこだわり抜く、父は仕事に対して一切妥協しなかった
父アルフレッドはかつて教師を夢見ていたが、貧しさから高校に通う事さえ叶わなかった
それでも働きながら独学で学び自分の店を持つまでになった
日々努力を重ねる父の姿は幼きマーガレットの心に深く焼きついた
学校での成績はいつも一番
当時のあだ名はガリ勉マーガレット
●父の教え
「お父様、私 ダンスを習いたい」
「本当にやりたいのか?」
「だってみんながやってるから」
「それがよくないのだ。他人がやってるっからって自分も同じことをするのは間違っている。自分の意志で決めるんだ。自分の信じる道を行きなさい」
マーガレットは後にこう語っている
「自分なりの方法でリーダーシップをとりたい。誰かのマネをしても意味がない。自分を信じるの」
他にも父は教えた
・人に頼らず自分に出来る事を全力で行うこと。そして自分の信念は絶対に曲げてはいけない
●胸に刻まれた父の教え
マーガレットは父の教え通り努力を続け、
1943年、名門オックスフォード大学に入学し、科学を専攻
一方、父アルフレッドは独学で政治を学び、市会議員として政治家デビュー
1945年、グランサム市長に選出された
当時のイギリスでは「ゆりかごから墓場まで」というスローガンの下、至れり尽くせりの手厚い福祉政策が行われていた
だが、それではいつか国民は怠慢になる、国はダメになってしまう
そこで父は個人が努力することで福祉政策にかかる費用を減らそうと訴えた
政治家になって将来国民が幸せな生活を送れる国をつくりたい、マーガレットもいつしか父と同じ思いを抱くようになった
だが父の理想は世間に受け入れられなかった
やがて対立する政党によって市議会から追放されることになる
マーガレットは大学を卒業後、プラスチック製造の研究員として働きだした
だが政治家になると云う夢は捨てていなかった
●運命の出会い
マーガレットが政党の後援パーティーに出席した時のこと
10歳年上のデニス・サッチャーに出会う
中流階級の彼は塗料メーカーを経営
いくつもの会社の顧問を務める裕福なエリートだった
やがて2人は交際をスタート
だがマーガレットは自分の将来の夢をデニスに話せないでいた
そして1年後…政治家になる事を認めてもらった上で1951年、結婚した
結婚3年目で双子を出産
育児の傍ら、法律を猛勉強、弁護士資格を取得した
そしてついにマーガレットは父の意志を継ぐべく国会議員への立候補を決意
公認を貰うため門を叩いたのは父が所属した保守党だった
当時のイギリスは保守党とライバルの労働党による二大政党制だった
保守党は個人の責任を重んじる伝統的な考え方の政党
さっそく自らの考えを聞いてもらうため党本部を訪れた
当時は女性の社会進出はまだ過渡期、政治家を志す女性は非常に少なかった
国会議員には二度立候補するも落選
1959年10月、結婚から8年後、33歳で国会議員に初当選
●立ちはだかる女性差別
当時政治の世界は完全な男社会
国会議員630人中、女性議員は25人、しかもマーガレットは最年少
同じ政党内でも女性差別が存在していた
●驚きのアイデア
彼女が考えたのは女性であることを逆手に取った作戦だった
華やかな髪型やファッションにこだわり男性議員から注目を集めた
するとマーガレットは次第に頭角をあらわれ始め、改革派のニューリーダーとして評価されるようになっていった
1970年6月、教育科学大臣に就任
女性議員として異例の大抜擢だった
その4か月前に最愛に父はこの世を去っていた
教育科学大臣に就任してそうそう、マーガレットは世間を敵に回す事になる
イギリスで伝統的に20年以上続けられてきた学校へ無償で牛乳を配給する政策を廃止
その予算を教材費や新校舎の建築費に振り分けようと計画
手厚い福祉を理想とする対立政党から猛反発
そんな彼女にマスコミが付けたあだ名が「ミルク泥棒」
どんなに批判を受けてもマーガレットはこの政策を撤回しなかった
マーガレットは全ての教育予算の見直しを実施
その功績から歴代教育庁の中で最も改革精神に富んだ大臣と評されるまでになった
1975年2月、議員になって16年目、野党に甘んじていた保守党は次の選挙で勝つ為にマーガレットを党首に選出
●鉄の女の由来
当時イギリスの政権を握っていた労働党はソ連と友好関係を築こうとしていたのだが、
なんて今の政府はだらしないんでしょ。ただ単にソ連に利用されているのがわかっていないのかしら。そんなに美味しかったんですかね?お土産のボルシチとウォッカが!」
マーガレットはライバルの労働党を痛烈に非難
この発言はすぐさま知れ渡り、ソ連政府は新聞でこの事を大々的に批判
その見出しには「鉄の女」が躍った
マーガレットはこの「鉄の女」を気に入り、スピーチで自ら発言した
1979年5月4日、党首となって4年後、保守党は総選挙に勝利
ついにマーガレットはイギリス初の女性首相に就任
●国民から嫌われた理由
・国有企業の民営化
当時のイギリスでは電力会社やガス会社、ロールスロイスなど車のメーカーまでも国が保有
国が運営している企業はたとえ経営が苦しくなっても倒産する心配がない
そのため企業努力も怠り、動労意欲も低下
結果、深刻な不況を生み出していた
そこでマーガレットは国有企業を民営化することで競争意欲を持たせ、経済の活性化を計画
だが、そうすることで労働者はリストラに合う恐れがある
民営化に反対する労働組合の激しいストライキにあっても彼女はひるむことなく立ち向かった
そして国有企業の60%以上を民営化
見事イギリス国内の経済を活性化する事に成功
だが一方で大量の失業者があふれ、貧富の差が拡大する現実も生んでしまった
・フォークランド紛争
1982年3月、南大西洋にあるフォークランド諸島はイギリスが統治していた
領有権を巡り、アルゼンチンとの争いが絶えなかった
そんな折、アルゼンチンの武装勢力が島に上陸、発砲する事態が発生
交渉を試みるもアルゼンチン政府は取り合わない
空母など40隻を派遣し武力行使に至る
3か月後、イギリス軍はフォークランド諸島を奪還
イギリス人250名以上の犠牲者を出したものの、この功績は高く評価された
こうして勢いに乗ったマーガレットは2度の総選挙に勝利
10年以上に渡る長期政権を築いた
●政治家になる前の職業はアイスクリームの研究者
幼い頃から政治家になる夢を持っていたサッチャー
必要なお金は自分で稼ぐ、父の教えに従い就職
アイスクリームに空気を混ぜてふわ~っとさせる研究を行っていたと云う
●政治家になった直後から無類のお酒好きになった
政治家になったサッチャーは連日の激務の中、ストレス解消の手段としてお酒をたしなむようになったと云う
サッチャーは飲酒している姿を撮影されることを嫌っていた
そのためお酒好きだったことは記者など一部の人間しか知らなかった
●2013年4月8日、マーガレット・サッチャー逝去(享年87)
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