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●不幸のどん底を味わった大物歌手:仁支川峰子
仁支川峰子の離婚会見は2年前
紅白出場4回の大御所演歌歌手
さらに女優として映画やドラマに数多く出演
2001年、後鳥羽上皇の墓守を務める地元の名士と結婚
結婚7年目で破局
そんな彼女の離婚につけられた呼び名が「あぶらとり紙離婚」
ラブホテルのあぶらとり紙が原因で夫の浮気が発覚し離婚となった
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1958年 福岡県田川郡で9人兄弟の末娘として誕生
家は水道、電気もない超極貧生活
1歳半まで栄養失調で死にかけて、5歳まで足が立てなかった
ブドウ糖の注射を打ってもらうために小学校4年生まで病院に通った
病弱な父の代わりに母が野菜の行商をしながら子供たちを育てた
1972年 14歳 母を裕福にさせるため歌手を目指し上京
1974年 16歳 「あなたにあげる」で歌手デビュー
1975年 17歳 紅白出場を成し遂げ、瞬く間に人気演歌歌手となった
その後も順風満帆、4年連続で紅白出場
19歳にして両親に家をプレゼント
大きな成功を掴みかけていた
1979年 21歳 卵巣嚢腫で卵巣の右半分を摘出
1990年 32歳 仁支川峰子が乗った車が関越道で交通事故
猛スピードでガードレールの支柱に激突
車は原形をとどめないほどに大破した
奇跡的にムチ打ちと頭部打撲だけで3週間の怪我ですんだ
1998年8月 栃木県を襲った集中豪雨により川幅3mが100mに
仁支川峰子の2億円豪邸が全壊した
入り口は流木でふさがれ、窓も粉々、完成してわずか1ヶ月
愛車のベンツや貴金属も失い、無一文に
さらに同時期に最愛の母も他界
2001年7月20日 隠岐島の7歳年下の男性と結婚
結婚相手は、後鳥羽上皇の墓守を務める地元の名士
交際わずか16日のスピード婚
結婚後は夫の実家の隠岐の島に移住、夫の両親と同居
2009年 結婚から7年後、あぶらとり紙離婚
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離婚の真相は夫の酒癖
入籍した次の日に暴れ始めた
からみ酒で義父と取っ組み合いの喧嘩、義弟と取っ組み合いの喧嘩
外食先ではどんなお店でも、原因がないのに大きな声で怒鳴り始める
元々、誠実な仕事ぶりにひかれ結婚した
酒が全てを狂わせてしまった
結局、生活費のほとんどを仁支川峰子が負担
そして大半は夫の飲み代へと消えた
精神的にも経済的に辛い日々を送る中、仁支川峰子は顔面神経痛に
極度のストレスで片目と口にひきつりが出始め麻痺してきた
そんな極限状態でも離婚を考えなかった
母と同世代の夫の祖母を母親のように慕っていた
辛い時でも祖母のことを想って耐えた
「おばあちゃんが生きている間は我慢しよう」
結婚7年目に祖母が他界
仁支川峰子の心の支えが無くなった時に起きた「あぶらとり紙離婚」だった
離婚後、夫は隠岐の島の家族の前から姿を消した
結婚は駄目だったが夫の家族とは大切な絆ができた
彼女は現在全国各地のホテルでステージに立ち、地道に歌手活動を続けている