中居正広の金曜日のスマたちへで紹介
金正日総書記の元専属料理人:藤本健二
1982年8月:東京・板橋区で寿司職人として働いていた
日朝貿易の商社が北朝鮮で働ける寿司職人を探していた
1年契約・給料は50万円・年に2回帰国できる
北朝鮮へ渡る
同年10月:首都 平壌の和食レストラン「安山館」で寿司職人として働くことに
知らずに寿司を握り、食べた相手が金正日
金正日に気に入られる
1983年5月:支配人と揉め日本へ帰国。日本の寿司屋で働き始める
同年8月:北朝鮮から使いが来て、再び北朝鮮で働くことに
1988年3月:金正日のバカラの相手をするようになる
同年6月:日朝貿易の商社会長の還暦祝いパーティーに出るために日本に一時帰国
酒に酔っていたこともあり金正日についてなど聞かれた質問すべてに答えた
彼が日本にいる間の行動は監視、盗聴され、逐一FAXで平壌に報告されていた
1989年1月:日本で結婚していた妻と離婚。慰謝料4000万円以上は金正日が支払う
同年2月:喜び組・巌正女(オムジョンニョ)と再婚
1990年元旦:朝鮮労働党に認められ朴哲(パクチョル)という名を貰う
同年1月:専属料理人となり、後の後継者・金正恩と対面
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1994年7月:金日成が死去。藤本は正式に秘書室に配属される
1996年9月:金正日から食材の買い付けを命じられ日本に一時帰国
大阪から成田に移動し北朝鮮に戻ろうとすると、警察に拘束された
留置所暮らしは30日にも及んだ
このままではいつまでも釈放されない、根負けする形で本意ではなかったが北朝鮮には戻らないと告げた
同年11月:藤本氏の身柄を保護するという警察の勧めで沖縄へ移住
居酒屋や料理店で板前として働きながら潜伏生活を送った
1998年2月:北朝鮮の工作員が現れる
同年6月:再び北朝鮮へ
金正日から抹殺命令が出ていたことを知る
2年の間に3名の幹部が強制収容所送りになっていた
同年10月:北京での買い出し中に盗聴され、スパイ容疑で軟禁生活
2000年4月:約1年半にわたる軟禁生活からようやく解放される
同年8月:ウニの買い付けのために日本に帰国。以後、北朝鮮には戻らず現在に至る
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