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中山秀征の芸能界デビューのきっかけ
●第二の吉川晃司オーディション
1984年、「モニカ」で戦列のデビューを飾った吉川晃司に次ぐスターを渡辺プロが募集
幼いころから芸能界に憧れていた当時14歳の中山秀征はチャンス到来と、すぐに応募
書類審査をパスし最終選考の5人に残った
審査員は現役のマネージャー達
自分が担当したと思った人に手を挙げていく
中山秀征の自己アピールは「夢芝居」を歌うこと
全く反応がなく、手を挙げるマネージャーは誰もいなかった
とその時、遅刻してきたマネージャーが何も見ていないのに手を挙げてくれた
この人が後に10年間マネージャーを務める関口氏
現在は「Wコロン」が所属する芸能事務所の社長
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何も見ていないのに手を挙げた理由は?
事前の書類審査で採用を決めていたから
関口氏の父親が群馬出身で親近感を感じただけ
中山の明るい性格を考えて歌手ではなくお笑いを勧める
当時新設された渡辺プロのバラエティプロジェクト第1期生となった
同期にはホンジャマカ石塚、脚本家の三谷幸喜などそうそうたるメンバーが在籍
1年後、「パンツの穴」で芸能界デビュー
1985年、お笑いコンビ「ABブラザーズ」を結成
ABブラザーズを解散したきっかけは関口氏の一言
ある程度人気が出た後
お笑いブーム第3世代、西からはダウンタウン、東からはウッチャンナンチャンという時代がはじまる
ネタ番組で彼らと一緒になる
ランキング番組で最初の頃は上位だったが、しかし日を追うごとに順位が替わっていく
ABブラザーズはどんんどん下がっていって、上位はダウンタウンとウッチャンナンチャンの競い合いが始まる
関口氏「中山、負けを認めろ」と一言
「もうダウンタウン、ウッチャンナンチャンに勝てないから負けを認めろ、でもそれはコンビとしても負けだろ 一人になったらこれからわからないじゃないか?」
と言われ、相方も違う道に志があったので解散した
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