ザ・スクープSPで紹介
過去からのメッセージ 古文書が語る巨大津波
過去からの警告に耳を澄ませば実は想定外ではなかった東日本大震災
およそ1000年前にも大津波が襲った事を伝える古文書が残っている
“人々は叫び声を上げて地面に這いつくばり立っている事ができなかった 数十百里の内陸まで一面海になり、原野も道路も境目が分からなくなった 船に乗る暇も山に登る暇もなく溺死するもの千人ばかり”
平安時代の国家の記録「日本三代實録」が記した869年の貞観地震
「溺死千人」を現在の人口比に当てはめると死者はおよそ2万人で東日本大震災に匹敵する被害になる
●古文書が語る若狭津波
電力会社3社の原発14基が集中する福井県の若狭湾沿岸地域
1586年に起こった天正大地震を記した吉田兼見の日記「兼見卿記」
“丹後・若狭・越前の沿岸 波を打ち上げ集落をことごとく押し流し、人死ぬこと数知れず”
ルイス・フロイスの「日本史」
“若狭の国には海に沿って、大きい町があった 数日間揺れ動いた後、高い山にも似た大波が唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せて、引き返す時には大量の家屋と人々を連れ去り、塩水の泡だらけとなって一切のものが海に飲み込まれた”
場所の特定、津波の高さなどの具体的な記述に欠け、あまり注目されなかった若狭津波
古文書から推定された震源は津波を起こさないとされる内陸の3つの断層
御母衣断層、阿寺断層、養老断層
飛騨の白川村では戦国武将の城が一瞬にして消えたという古文書もある
“帰雲という集落は地震が山を揺り崩し、山河多くせき止められ大洪水馳せ入りて、一族身分の低い者にいたるまで残らず死にたるなり”
濃尾平野の西にそびえる養老山脈もこの地震の震源の一つだったと推定される
その延長線上にある滋賀の長浜では長浜城が大きく壊れた
当時の城主:山内一豊が一人娘の与祢姫を失った
三十三間堂に伝えられる古文書によると
“十一月二十九日夜 大地震に京都三十三間堂の仏六百体いづれも倒れ給もう”
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