ザ・スクープSPで紹介
過去からのメッセージ 古文書が語る巨大津波
過去からの警告に耳を澄ませば実は想定外ではなかった東日本大震災
およそ1000年前にも大津波が襲った事を伝える古文書が残っている
“人々は叫び声を上げて地面に這いつくばり立っている事ができなかった 数十百里の内陸まで一面海になり、原野も道路も境目が分からなくなった 船に乗る暇も山に登る暇もなく溺死するもの千人ばかり”
平安時代の国家の記録「日本三代實録」が記した869年の貞観地震
「溺死千人」を現在の人口比に当てはめると死者はおよそ2万人で東日本大震災に匹敵する被害になる
●古文書が語る大阪沈没
4mを越える津波が押し寄せると市街地のほとんどは水没してしまう
実は大阪は過去何度も津波に襲われてきた
1854年の安政大津波を伝えるかわら版
“十一月五日七つ時、大地震となり候ところ、暮れ方より二丈余の大津波うちきたり 道頓堀川大黒橋まで千五百余艘の大船押し上り、船の上へ船、二重三重に重なり亀の甲羅を押すがごとく”
たび重なる地震の揺れを恐れて人々が逃げ込んだ船を海から遡ってきた津浪が襲い、道頓堀などでたくさんの人が亡くなったと伝えている
安政大津波の150年前の宝永地震にも大きな津波の被害がでた
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1361年の正平南海地震を伝える「斑鳩嘉元記」
“四天王寺本堂が壊れ倒れた また安居殿御所西浦まで潮が満ちて、その間の家の人々がたくさん亡くなったということだ”
海からおよそ5km、四天王寺は標高20mほどに建っている
当時広く民衆の信仰を集めていた四天王寺
京都の貴族もしばしば足を運んでいたという
大阪に津浪がやってきたのは地震発生のおよそ2時間後
正平南海地震で津浪が到達したという安居殿御所西浦は四天王寺から少し坂を下ったところにある、いまの安居神社がその場所と考えられている
今の市街地をすっぽりと飲み込む程の650年前の津波
南北朝時代の乱世を書き綴った「太平記」
“摂津の国、難波の裏の沖数百町、半時ばかり干上がって、無量の魚などの砂の上にいきつけるほどに、辺りの裏の海人ども網を巻き釣り針を捨て、我劣らじと拾いけるところに、またにわかに大山の如くなる潮水満ち来たり 満々たる海になりにければ数百人の海人の一人も生きて帰りはなかりけり”
大阪の環状線の海側の半分は津波の大きな被害を受ける
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