日本に鉄砲が伝わり、わずか1年で国産第一号を生産、
7年後に30万丁を保有、50年後には世界の50%を保有するまでに
●鉄砲伝来の真相
1543年、当時16歳だった種子島の領主:種子島時尭
中国船に乗ったポルトガル人が漂着した
時尭はポルトガル人が持っていた火縄銃の威力に驚いた
時尭は鉄砲2丁と2千両相当の銀を交換した
今のお金の価値に換算すると1丁およそ5000万円、2丁でおよそ1億円
時尭は鉄砲を手にすると刀鍛冶を呼び出し、
2丁のうち1丁を分解して「これと同じものを作れ」と命じた
●刀鍛冶の娘:若狭
当時15歳だった若狭は刀鍛冶の娘だった
若狭の父は鉄砲作りに苦心し、なかなか完成しない
そこでポルトガル人に作り方を教わろうとした
するとポルトガル人は「娘の若さと結婚させてくれるなら教える」
悩んだ若狭は結婚を受け入れ、ポルトガルへと旅立った
そして時尭が刀鍛冶から日本第一号の鉄砲を受け取ったのは翌年の1544年だった
そして戦国の武将は皆、種子島の火縄銃を欲しがり、堺の商人は鉄砲を大量生産した
1550年代、日本の鉄砲の数は30万丁を超えた
これはヨーロッパが保有する鉄砲の数をはるかに上回る数だった
日本の職人は改良を加え、性能が向上した鉄砲をヨーロッパに逆輸入するほどに革新
まるでミサイルのような城攻めに使った棒火矢は4㎞も飛んだと言われている
●1600年代、世界の50%の鉄砲を保有していたという
ちなみにその後、若狭は種子島に戻って来たと伝えられている
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