世界ふしぎ発見で紹介
フランスで最も優美な城のひとつと言われるシュノンソー城
16世紀から19世紀まで6人の城主が全て女性
女性城主たちが代々自分好みに改築してきた
それまでの城は部屋と部屋が直接 繋がっていて
手前の部屋を通り抜けなければ奥の部屋に行けなかった
しかしそれではプライバシーが守られないと、初代の女性城主が廊下を設けた
さらに優雅に改装したのが2代目城主のディアーヌ・ド・ポワチエ
ディアーヌは国王アンリ2世の愛人で、20歳も年上だった
類まれな美貌と知恵を合わせもつディアーヌは、国王を生涯 虜にした
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●国王を虜にした絶世の美女
アンリ2世は、幼い頃 母親を亡くしていた
1526年、7歳の時、当時領土争いをしていた神聖ローマ帝国へ人質に取られる
その出発の日、誰よりも別れを悲しんだのが、当時27歳のディアーヌだった
貴族出身のディアーヌが、アンリの亡き母に侍女として仕えていたことから、
アンリを我が子のように可愛がっていた
囚われの身になったアンリは、母を想うようにいつもディアーヌの面影を追っていた
4年後、領土問題が決着してアンリがフランスへ帰ってくると、
ディアーヌはアンリの教育係りを命じられた
やがてアンリは思春期に、アンリの気持ちが恋心に変わるのは自然の成り行きだった
1533年、アンリは、イタリアの大富豪:メディチ家で同じ年のカトリーヌ・ド・メディシスと結婚
当時のフランスは莫大な持参金と共に妻を貰う事で財政的な安定を求めた
結婚後もアンリは20歳も年上のディアーヌに夢中
カトリーヌには目もくれなかった
それはカトリーヌの正妻としてのプライドを大いに傷付けた
やがてアンリがたくましい青年になった頃、
2人は結ばれ、ディアーヌはアンリの愛人となった
カトリーヌは結婚してから9年間、子宝に恵まれなかった
世継ぎが出来ないプレッシャーに加わり、ディアーヌに対する嫉妬と憎しみが増していた
ディアーヌは、アンリにカトリーヌの寝室に頻繁に行くことを勧めた
その背景には、もしカトリーヌが子供を生まなければアンリにはディアーヌ以外に、もっと若い愛人が出来てしまうかもしれない
愛人関係を続け、自分の立場を守りたいという計算があった
ディアーヌの目論み通り、アンリとカトリーヌはその後12年間で10人もの子供をもうけた
1547年、アンリが28歳の時、新国王となる戴冠式が行われた
2人の対立を決定的にしたのがシュノンソー城だった
アンリは当時 国のものとなっていたシュノンソー城をディアーヌに贈った
ディアーヌは、さらに莫大な資金を投じて好み通りに改装した
当時 最も人気の造園家に依頼した庭には、国中から届けられた色とりどりの花が咲き誇った
ちなみにシュノンソー城には、ディアーヌの庭よりは小さいが、カトリーヌの庭も存在する
1559年、アンリが40歳の時、馬上槍試合に出場したアンリが相手の槍を目に受け、瀕死の重傷を負った
カトリーヌはお見舞いに来たディアーヌを部屋に入れず、アンリは愛するディアーヌに会えぬまま息を引き取った
これを機にカトリーヌは、積年の恨みを晴らす
「国王がディアーヌに贈った宝石は全て返還させない。それからシュノンソー城は私が貰うわ」
アンリという後ろ盾がいないディアーヌは正妻の言葉に従うしかなかった
ディアーヌに対抗するようにカトリーヌは2つ目の庭園を造った
後、カトリーヌはプロテスタントの大虐殺(サン・バルテルの虐殺)を行い、歴史に悪名を刻んだ
シュノンソー城を追われたディアーヌは、北200キロの所にあるアネット城に移り住んだ
●絶世の美女:ディアーヌの若さと美貌のヒミツ
ディアーヌは歳を取らない美女と呼ばれ、
60代になっても30歳の若さを保ち続けていたという
・美貌のヒミツは毎日の日課にあったと言われている
1、夏も冬も日の出前に起床
2、ベッドから出てすぐに全身に冷水を浴びていた
3、朝食は一杯の自家製スープのみ
4、午前中は森で乗馬を楽しみ、午後は公務に勤しんだ
・若さのヒミツ
アネット城の教会に埋葬されたディアーヌ
彼女の遺体はフランス革命の際に掘り出され、村の共同墓地に移されたため長く行方不明となってた
2008年、共同墓地の清掃作業の時彼女の遺骨が発見され、ディアーヌの意外な死因が明らかになった
法医学者:フィリップ・シャルリエによると
ディアーヌの骨には金の成分が大量に残っていた
さらにアネット城に残されていたディアーヌの毛髪からも大量の金の成分が検出された
水やアルコールに混ぜて金微粒子の溶液を飲んでいたと考えられる
透けるように白く美しかったディアーヌの肌は、金の中毒による慢性的な貧血のせいでは?
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