ありえへん∞世界で紹介された
●中米の素独裁国家:パナマ共和国
1983年~89年までパナマ軍の最高司令官として君臨したマヌエル・ノリエガ将軍
その裏の顔は別名:麻薬王
隣国コロンビアの麻薬組織と結託し、アメリカへのコカイン密輸ルートを私物化
密輸で得た莫大な不法利益のうち約3億円を使いバリの別荘を購入したとも言われている
さらに反発勢力が選挙で勝利しても選挙を無効にするなどやりたい放題
そこに干渉してきたのが当時のアメリカ大統領:ジョージ・ブッシュ
アメリかはパナマ運河一体を領土化し実質的に植民地化していた
1989年、麻薬撲滅とノリエガ逮捕を名目にパナマ侵攻
アメリカは首都パナマシティを制圧、そして拘束されたノリエガは麻薬密輸の罪で懲役40年を科された
ノリエガの独裁政権が終息してから24年
パナマ侵攻で壊滅した首都パナマシティは今…ニューヨークのような超高層ビルが立ち並んでいる
移民に寛容な国で国民の73%が混血と多種多様な人種が暮らしている
●太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河
北米大陸と南米大陸は陸続き
貿易船がアメリカ大陸を横断するためには南米大陸の最南端を迂回する必要があった
そこで1904年、アメリカがパナマ運河を建設
パナマの国土に全長80㎞の特殊な水路を造った
それまで24日間もかかっていたサンフランシスコ~ニューヨーク間の航路は10日間と大幅に短縮
その通行料金は、船のサイズや貨物の量によって異なるが、
1回通るだけで1000万円~4000万円
パナマ運河を通行する船は年間14000隻
その収益は船を通すだけで年間1200億円にもなる
以前はこの莫大な収益をアメリカが独占していたのだが、
1999年にパナマ運河の運営権をパナマに返還
スポンサーリンク
運河の建設には10年もの歳月を要し、完成したのは今から100年前
約5万人が関わった世界的プロジェクト
中でも多大な貢献をしたとされる11人の中に日本人がいる
名は青山士(あきら)
●パナマ運河を造った日本人:青山士
1903年、東京帝国大学工科大学(現 東京大学工学部)で土木工学を専攻していた青山
首席で卒業し将来を約束された超エリート
そんな彼の口癖は「私は自分が生まれてきた時よりも日本をより良くしたい」
そして卒業式の謝恩会で恩師:廣井勇教授から卒業生にかけられた一言
「パナマ運河 建設の仕事をやってみないか?」
時はパナマ運河の建設が始まったばかり
1904年、青山はパナマ共和国に旅立った
東大を首席で卒業したエリートに与えられた仕事は、
ジャングルを切り開き、ひたすら方向や高さを測る測量士の助手
森には毒グモ、サソリ、毒蛇など、黄熱病やマラリアなども蔓延
作業中5600人もの人がが命を落とした
そんな過酷な状況の中彼を襲ったのは原因不明の激しい腹痛
青山は一切手を抜かず仕事に没頭
日本人ならではの真面目な姿勢が評価され測量士の助手という立場から
パナマ運河建設への主任設計技師へと異例の大出世を果たした
実はパナマ運河を造るには超えなくてはならない難題があった
太平洋と大西洋をつなぐ水路を造るには陸地を切り崩せばよいのだが、現実的に不可能
そこで内陸にある巨大なガトゥン湖を経由する事を計画
その場合、問題なのは海とガトゥン湖の30mもの高低差
まずは湖の手前まで水路を引き、閘門と呼ばれる水のエレベーターを建設
閘門が開き船が入ると閉まり、壁から水が注入、それに合わせて巨大な貨物船も上昇
水位が水平になったら閘門が開き、巨大な貨物船が通過できるようになる
このエレベーターを3回繰り返し昇っていく
1914年、パナマ運河が完成した
青山は大西洋側のガトゥン閘門を設計したという
帰国後、青山は内務省に入り旧荒川の放水路事業を指揮
パナマ運河で培った技術を活かし、放水路を建設
スポンサーリンク