痛快!生きざま大辞典で紹介されたワイルズの証明
●360年間 解けなかった難問を証明した数学者:アンドリュー・ワイルズ
その難問とは、フェルマーの最終定理
17世紀のフランスの数学者:ピエール・ド・フェルマーは、
確率論、幾何学、微分積分などで近代数学の基礎を作った人物
フェルマーは古代ギリシャの数学書 算術の余白に自分の気が付いたことをメモしていた
そのメモが、彼の死後、数々の数学者を苦しめることになる
●フェルマーの最終定理
aⁿ+bⁿ≠cⁿ nが2乗では成り立つのに、3乗以上では成り立たないという予想
新の素晴らしい証明を見つけた、この余白では狭すぎて それを書く事は出来ない、
とフェルマーは付け加えた
この挑戦状に対し、時代を代表する天才数学者たちが次々と証明に挑んだが、
誰一人として証明する事はできなかった
そしてフェルマーが予想してから360年…
イギリスの数学者:アンドリュー・ワイルズが この予想を証明した
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●数学者:アンドリュー・ワイルズの半生
・10歳の時、算数が好きだったワイルズ少年は、
図書館でフェルマーの最終定理に出会った
「この問題は自分が解かなければならない」と決意した
・ケンブリッジ大学で数学を学ぶ
フェルマー予想に挑むことは、コーツ教授に止められた
それは数々の天才が敗れ去った超難問に挑むのは危険だから
教授のススメでワイルズは、楕円曲線という分野で成果を上げる
・プリンストン大学の教授に就任し、穏やかな暮らしをしていた
ワイルズが33歳の時、谷山豊・志村五郎の「すべての楕円曲線はモジュラーである」予想が発表
谷村志村予想とフェルマーの最終定理の綿密な関係にあった事が発見される
谷村志村予想を証明するとフェルマーの最終定理を証明できる事が分かった
元々、解けないと思っていた難問が、実は自分の専門分野で解けると分かったワイルズは、
フェルマー予想に戻らなければと決意した
・7年間 自宅の屋根裏にこもって証明に集中
フェルマーに挑んでいる事は誰にも告げず、自宅の屋根裏にこもった
たまに幼い子供たちと遊んだり散歩するのが息抜きになった
・天才に訪れた閃きの瞬間
そして7年が経ったある日、「いつものように取り組んでいたんですが、突然 本当に突然、あの信じられないような考えがひらめいたんです。あれは…人生の中でもっとも大事な瞬間でした」
ワイルズはフェルマーの最終定理を解いた
1993年、ケンブリッジ大学ニュートン研究所
3日間に及ぶ講演のタイトルは「楕円曲線とガロア表現」
ワイルズはフェルマーに関する発表を伏せていた
最終日、黒板で3と5を変換してから、フェルマーの最終定理の式を書いた
「これで証明できました。以上です」
そのニュースは瞬く間に世界中を駆け巡った
ワイルズの証明の論文は総数129ページに及ぶ
「私にとってあんな魅力的な問題はもう現れないでしょう。少年時代の夢を追い続ける事が出来たのは私に与えられた特権だったと思います」とワイルズは後に語っている
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